サブタイトル魔女狩り

魔女を裁判にかけ、尋問や拷問で自白させ、処刑した。それを魔女狩りという。さまざまな地域で行われ、処刑された魔女の数は相当な数である。

○魔女狩りはキリスト教によって行われた。

時代 14世紀になってから。最も盛んだったのは16〜17世紀 ※16〜17世紀といえば、ガリレオ=ガリレイやケプラー、ニュートンなどが活躍した時代。

○1485年『魔女の槌』が発行される。魔法使いの存在を疑う人々への反駁と魔法使いは男より女が多いこと、および魔法使い発見の手順とその証明の方法について記してある。

   魔女の槌『魔女の槌』の扉 ※内容の概略

エリートの告発 魔女にしたてあげられた女たちは、社会的には貧窮したアウトサイダーであった。都市民はすくなく、大半が農村の貧しい女性であった。

 彼女らは、どん底の人々とつきあった。人々は、秘密の力、予言の力をもつ彼女を頼った。畏怖の念をいだきつつ、彼女に家畜の病を癒してもらい、呪いをかけてもらい、愛を助けてもらった。彼女は薬草の知識があり、産婆術に通暁し、毒物の調合方法を知っており、恋愛を助ける、または損なう薬の調合を知っていた。

 つまり、魔女と呼ばれた人々は、不思議な超自然力の持ち主であることはおなじでも、『魔女』の悪事とちょうど反対の善行を、住民たちの要求に応えておこなっていたのである。それなのに、なぜ、彼女たちは『魔女』として告発されることになったのであろう。

 それは、都市のエリートである司法官や教会改革者の目に、彼女らが道徳意識も政治的意識もない厄介者にうつったからであった。彼女の存在が、住民をあいかわらず異教の迷蒙に染まらせ、また、あるべき秩序をおびやかすと思われたのである。

 だから彼女達を根こそぎ共同体から排除するために、権力を握るエリートは、機会あるごとに住民を駆り立ててこれらの『不穏分子』をかりだそうとした・

 布教活動により罪悪感を植えつけられ、また経済的変容をうまく乗り切った中・上層農民を使って、社会秩序を守るのは容易であった。危機にある共同体にわだかまる憎悪や復讐の抑圧された本能を、裁判が社会的抑圧の道具としてもちい、もてる民衆ともたざる民衆を対立されればよかったからである。

 

 とくに激しさで際立っていたのは、17世紀最初の4半世紀であり、ついで1640年代、1660年代と間欠的に魔女狩りの火の手があがった。1650年代に壊滅的な風潮があらわれ、17世紀末にはヨーロッパ全域からほぼ魔女狩りの炎は消え去った。

 

 →処刑された魔女の数

 

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