魔女の歴史は人間の歴史とともに古く、すでに古石器時代の洞窟の壁画にその姿を現しており、青銅時代に属するデンマークの『魔女の墓』からは、魔女が用いたさまざまな呪術用の小道具をおさめた壺が発見されている。こうして始まったその歴史は、人間のあらゆる時代を貫いて、今日もまだ終わってはいない。また、魔女にまつわる説話が、あらゆる時代、あらゆる地域を通じて、共通していることも特徴的である。前記の魔女の墓から出た呪物(山猫の爪・いたちの骨・ヘビの椎骨など)にしてお、それらは今日でも薬物や護符として広く用いられているものだと、民俗学者は伝えている。 魔女は、神秘的な直感に加えて、しばし医学的な知識をもって病人や怪我人をなおし、さらに、女性の多産を助けたり、逆に堕胎を助けたりしていた。このような病気癒しや、呪術使いの女性は、昔からたえることなく、人々の日常要求に応えて存在していた。したがって、魔女あるいは魔女的存在の起源は、太古にまでさかのぼるとさえいえる。 しかし、魔女が『魔女』としてとらえられるようになる大きなステップのひとつは、十四世紀に越えられている。それは、魔女が正統なキリスト教会から異端の烙印を押されること、つまり指導者をいただき、誤てる教義や儀式やヒエラルキー(※1)をもつセクト(※2)であるとされるようになった段階である。 そして、そうした、魔女の存在への確信に加えて、魔女を他のものから見分ける指標・基準ができたとき、彼女達は、集団として、セクトとして追求され始める。 十四世紀を代表する異端審問間ベルナール・ギーは、夫婦を不和にさせ、未来を予言し、病を癒し、画された宝をみつけられるという者には注意するよう促している。彼は異端視審問の手順の手引書のなかで、それらの『悪霊の祈願者』を、他のもろもろの異端の間に入れて記している。 その後、妖術の拡張におびえる教皇は、その邪説のドグマ的性格(※3)を確認し、魔女を最悪の異端として追及する許可を、異端審問間にあたえた。一方、多くの神学者・悪魔学者は、魔女に共通の特徴、その見分け方を論じあった。そうした結果、十四世紀末には、一種の悪魔教としての魔女のセクトの存在が自明視されるようになった。 かくて、かつての病気癒しの女は、悪魔と結託した『魔女』となる。
※1 階層制や階級制のことであり、主にピラミッド型の段階的組織構造のことを指す。 元々は、聖職者の支配構造であった。かつてのカトリック教会や東方正教会などが、この言葉の現代的意味において「階層的な」組織を持っていたことに起源がある。 ※2 (一般的に)全体の組織に悪影響を与える、よろしからぬ「党派」「派閥」などをさす。「セクト主義」。 ※3 ドグマ人類学は、フランスの法制史家にして精神分析家ピエール・ルジャンドル (Pierre Legendre, 1930年生)によって構想され、形成途上にある学である。この 命名には、〈法〉を単なる外在的規範として対象的に扱うのではなく、〈人間〉とい う種の再生産と、そこにおける各主体の形成に決定的な役割を担う人類学的要素とし てとらえ直す姿勢が含まれている。
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